真夏の眩しい白昼夢

幕が上がり

 

 

コンマ1秒で視界のなかに入ってきた彼は、「カミサマ」 に見えた。

 

そのカミサマは、神聖に伸びた髪の毛をサラサラ操りながら見覚えがありすぎる振りをいつもの通り隙を見せずに踊り、聴き馴染みすぎたメロディーを一生懸命歌っていた。

 

でも紛れもなくその姿はカミサマだった。

 

勿論カミサマはこの日何かの手違いで天からEXシアターに落ちてきたのではなく、いつも家族に行ってきますと手を振り家を出て、衣装に着替え、自らの意思でステージに立っている。

 

 

カミサマは、この世にある幸せも憂いも愛しさも苦しみも切なさも喜びもぜんぶ詰め込んだような顔で微笑んでいた。

 

 

リアルの欠片を全部集めると、たちまち夢になっちゃうみたいだ

 

 

 

織山尚大は、夢のような現実だった。

 

 

 

 

『Monster』のイントロ、ステージ中央で一つになって揺れている姿は心臓の鼓動が波打っているようで、自分の胸の高鳴りとたちまちシンクロする。

 

振り付けはさすがの織山節炸裂と言わんばかりに独創性と技術力をブイブイ言わせていて、本当に「おもしろい」。曲の一音をも無駄にしないような音の拾い方だったり、斜め上から魅せてくるポージングや目まぐるしいのにしっかり締まっているフォーメーション、こんなに何十回も何百回も観たくなる振付に出逢ったのは初めてだ。

 

力強さとふわっと包み込むような暖かさを持ち合わせた拓実くんの歌声、背中合わせで美しく危険なオーラを放つおりくろコンビ…… 

 

素晴らしい振付はそれをふさわしい思いで消化するひとがいて初めて誰かの心に届けられる。

 

5人全員の表現意欲バロメーターが振り切りすぎて計測不能になっているのがちらっと見えた気がした。ほんとうにほんとうにうれしかった。でもこのうれしい感情は踊られている振付の気持ちなのか創った人の気持ちなのか踊っている人の気持ちなのか、また別の感情なのか、よくわからなかった。

 

フードを度々被りながらパフォーマンスしていた織山くん、アウトロでセンターに降り立った瞬間バサッと自然にフードが外れ、空間を掌握する勢いでラストの振りを踊り出したとき、またカミサマかと思ってしまった。ふしぎだ。

 

 

 

私がいちばんどうしようもなく涙が出そうになったのは、『AinoArika』のパフォーマンスだった。

 

「たった二つの心が重なる喜びよ」で切なそうに目を細めながら掲げた二つの人差し指を重ね合わせ、歯を食いしばって壊れるくらい自分の拳で胸をたたいていたのを見た時、この人はきっと心が重なることも、その喜びも永遠でないことを知っているんだと思った。

 

その上で、刹那的でかけがえのない運命を優しく守って、自分の心に刻み込もうともがいているように、みえた。

 

私はほとんど泣きそうなくらい感情を爆発させて彼がこの曲をパフォーマンスしているのを観るのが初めてだったので、私の心のタンクには収まりきらず大洪水を起こしてしまったけれど、このパフォーマンスもまったく刹那的なもので同じものを観られることはきっと無いのだろう。今でもせっせと溢れ出た水を汲んでいる。

 

 

 

青春アミーゴ』、は、たぶん知っている織山尚大だった。

 

いや、もちろん曲も違うし振付も違っているのだけど、魂がむき出しになっているのが、6月のあの時と一緒だった。

 

剝き出しの魂はさらにダイレクトに心を響かせるし、私たちの心のバリアもオープンにしておかなければ、きっとその真髄を知ることはできないのだと思う。

 

私は、分かっているようでわかっていない。これからも分かるかどうかわからない。

 

分かってほしいのかもしれないし、分からなくてもいいのかもしれないし、分かってほしくないのかもしれないけれど、今までもこれからもずっと分かりたいと思っている。

 

分かりたくて、分からなくて、剝き出しの魂を瞬きも惜しいほどただ一心に見つめていた。

 

 

 

『君が思い出す僕は 君を愛しているだろうか』で、私の目に見えていた煌びやかなステージは途端に夕焼けの街並みに変化する。

 

車椅子に乗った少年は髪の毛を無造作におろし、憂いと悲しみを帯びた瞳を潤わせながら景色の中に佇んでいた。

 

ステージ全体が映画のフレームになったように美しい歌にのせてシーンが移り変わっていく。切なくて、痛くて、儚くて、優しい。

 

この時のラストの演出は、車椅子からゆっくり立って、本を大切にぎゅっと抱きしめてから、ふっとその場に倒れていた。目に焼き付けることしかできなかった。

 

 

 

わたしは、時々彼が「カミサマ」に見えた。

 

現実離れしたビジュアルの美しさが。世界中の人の心をつかむような空間を支配するダンスが。彼の後ろに拡がっている映画のように郷愁漂う背景が。儚くひたむきで芯が通った魂が。ほんとうにカミサマみたいだった。

 

 

でも、それだけじゃない。

 

 

拓実くんと顔を近づけて笑い合う姿、MCで黒田くんとしょうもない悪ふざけをし合って楽しんでいる姿、髪型をお揃いにして、アンコールで無邪気に叫んでいる姿。

 

17歳のアイドル、織山尚大の素直な佇まいはとてつもなく愛おしかった。

 

『Ray』10月号のインタビューで、織山くんは「見てくれる方を日常とは違う場所に連れていくのがアイドル」と言っていた。

 

胸キュンさせるのが恥ずかしい織山くんがライブではファンサマシーンなのも、彼がカミサマに見える所以も、全て彼のこだわりと努力のうえにあるんだ。

 

そんな当たり前のことにライブが終わってから気づいた私は、ライブの織山くんを思い出しながらちょっと泣いた。

 

 

天から落ちてきた天使でもカミサマでもない、自分の意志で踊り、歌い、考える17歳の少年は、きっと誰かを導き誰かに支えられながら、今日もアイドルとしてここにいる。