胡瓜のあとはオムライスを食べてほしい

 

 

ジャニーズ銀座 少年忍者公演が中止になった。

 

 

それからずっと、悲しみと怒りと憂鬱とやるせなさを一緒に茹でてしなしなになったのをチビチビ食べているような日々が続いていた。

 

音楽を聴いていても、漫画を読んでいても、

心の大事な部分を知らんぷりして すーっと滑っていってしまう感覚がする。

 

なにも受け取れないし、なにも生み出すことができない。

本当に心に留めておかなければいけないことが何なのか分からなくなっていた。

 

この舞台を観て、ほんとうに大事なことのきっかけを掴むことができたらいいかもしれない。

 

 

そんなことをぼんやり考えながら品川プリンスホテル ステラボールに足を運んだ。

 

 

 

6月5日 初日は、衝撃と感動と楽しさと苦しさのフルコンボで終演後しばらく身動き一つできなかったことを覚えている。

 

心の準備をしてきた「織山尚大」の濃度をゆうに超えてきたので、からだとこころとあたまが大変びっくりしてしまったのである。

 

 

わたしがこの舞台を観て初めに感じたことは、「織山尚大、ずっと踊ってる」だった。

 

もちろんダンスの見せ場も沢山あって、その時の感情は後ほど。

 

それだけではなくて、お芝居の一つ一つの仕草やジェスチャーをも空間を支配する舞に見えてしまうのだ。

 

恐ろしいと思った。舞台中どこを取っても織山尚大のダンスになってしまうなんて、そんな凄まじいことあっていいのだろうかと。

 

 

鬼気迫る叫び声、穏やかに語り始める声、河童の世界でのあっけらかんとした声、声にならない悲痛な呻き。

 

「第二十三号ってこうなんだ」と「織山尚大ってこうなんだ」がずっとぐるぐるして重なり合ったり離れたりして、なんだか不思議で浮いた気持ちになり、初日の夜はほとんど眠れなかった。

 

この一週間ちょっと、授業を受けたりバイトをしたり一般大学生としての通常生活をしながら何回かKappaの世界に足を踏み入れさせていただいたけれど、結局のところ初日の時点で心をステラボールに置いて来てしまっていたらしい。どうりでKappaのことしか考えられないわけだ。

 

90分間それぞれが、全てかけがえのない瞬間だった。

 

冒頭の淡々とした場面から徐々に動きがエキセントリックになっていき、目が虚ろになり狂っていく様の表現の上手さには毎回震える。

 

そして、無数の色彩と溶け合って身体そのものから音楽を発しているような爆発的なダンス。そのあとの恐怖さえ感じる朗らかな語り口。

 

河童の世界での、コロコロ変化する豊かで愛らしい表情。毎公演変化する楽しいアドリブ。

 

河童界と人間界の間で揺れ、目を背けたくなるような価値観の差に煩悶する表情。

 

とっても切なくて、でも心の底から暖まるような優しさを詰め込んだ笑顔、そこに伝う透明で美しい涙。

 

 

無音ダンスが始まった瞬間の、息ができないほどピンと張りつめた会場の空気。

 

細い体で自身の何百倍もの空間をたった一人で支配する17歳がそこにいた。

 

心の奥底に容赦なく突き刺さってくる感情の束。苦しみと哀しみ、あらゆるものの魂が転げまわってもがいているようで、気づいたら涙がマスクの下まで流れ落ちていた。

 

「命を削ったダンス」は、削った命が、そこに宿った魂がそのまま見えるのだと妙に納得してしまい少し怖くなった。

 

 

そしていつも、カーテンコールのスーパーアイドル織山尚大に安心させられる。

 

軽快なステップ、キラキラ笑顔、コングさんにいたずらする悪ガキ尚大、客席に向けた真っすぐなお辞儀。

 

どの瞬間をもってしても「ああ、この人を好きでよかった」と心から感じた。

 

 

教養がまるでない私には、この作品の考察はとっても難しい。

 

きっと文にするとどうしようもなく稚拙になる予感がするので、心の中でぼんやりと留めておくことにする。

 

でも、ひとつだけ。

 

マッグさんの

「我々河童は何と言っても、河童の生活を完うするためには、…」

「とにかく我々河童以外の何ものかの力を信じることですね」

 

という言葉。この「河童以外の何ものかの力」というのは、実のところ人間を指しているのではないかと感じている。原作では獺も仮想敵として登場するが、そういった自分たちとは違う世界の生き物の事なのではないかと。

 

河童は河童以外の俗世のものを自分たちの世界に取り込むことによって自らの優位性を実感し、それによって河童という形を保ち続けられるのではないだろうか。そしてその性質は、全く人間も同じであるといえる。

 

河童の世界も人間の世界も、根っこの部分は何ら変わらない。人間は皮を何十にも被って真実を見えづらくしているだけなのではないか。

 

そういう考えに至ったとき、第23号が人間の皮膚の匂に閉口し、「帰りたい」と言ったわけが少しわかるような気がした。

 

 

東京千秋楽が終わり、いろいろな思いが頭を巡る。

 

カーテンコールの言葉。彼の一言に対してあれこれ語るのはなんだか揚げ足を取ってしまうようで、誤解も生んでしまいそうであまり気が進まないけれど、ただあの会場にいた多くのお客さんの前でそういった感情を吐露できるのは、この作品を観に来ているわたしたちを少しでも信頼してくれているからなのではないかと感じた。

 

カテコだけじゃない。ブログに綴ってくれた文章もそう。

 

こうして真っすぐに気持ちをぶつけてくれるからこそ一つ一つの言葉をしっかり受け止めて応援していかなければと思った。

 

苦しくなったり哀しくなったり心配になったり、この期間は数えきれないほど様々な感情が心をよぎったけれど、Kappaを観た後は必ず幸せで満たされた気持ちになった。これはホント。

 

素晴らしい作品は、心の芯からハッピーにしてくれる。惰性でなんとなく楽しさを見つけるのとは全然ちがっている、ことに気づかせてくれた。

 

「死ぬ気で」を目の当たりにした一週間。

 

体感胡瓜いっぱい食べただろうから、いまは美味しいホワイトソースのオムライスでも食べながらゆっくりできてるといいな。

 

 

京都公演もいきたかった(;_;)